英語は続く

ジェニファー・ワイナーの初エッセイ集が先週世に出ました。本を読む時間はなさそうなのでオーディオブックを購入。これがなんと、read by the authorバージョンなのです。著者肉声でエッセイを聴けるとは、驚異の時代ですね。基本的にはアナウンサーのように分かりやすい英語を喋る人なのですが、話がのってくると突如スピードアップ。肉声の醍醐味です。日本人の私はその勢いに置いていかれないよう、必死に耳をそばだてています。ジェットコースターから振り落とされないようしがみつく子どものように。

 

英語といえば、在英台湾人の友達が一時帰国ついでに遊びに来てくれることになりました。10年ぶりの再会なので積もる話もたっぷりなのですが、しばらく英語を話す機会のなかった自分の舌が用をなすのか不安でもあります。1ヶ月かけて口慣らしをしようと英会話CDを引っ張りだしました。娘の昼寝を虎視眈々と狙います。

見上げてみれば

子どもを連れて近くの公園まで散歩に行きました。

 

抱っこひもの中の娘に花を見せたり鳩を見せたりしたあとで、木陰のベンチで休憩。膝に寝かせてしばらくぼんやりしていました。すると娘がじーっと飽きずに上を見つめています。何があるのかな、と私も真似して見上げてみると、青空を背景に繊細な広がりをみせる木の枝と、寄り集まって生える葉の隙間から注ぐ秋の木漏れ日が見えました。

 

出産を待つ間、子どもが生まれたら、この世の綺麗なもの、美しいものをたくさん見せてあげようと思っていました。でもおそらく、子どもを育てるということは、以前考えていたような一方的な働き掛けではないのでしょう。私が娘に与えるのと同じように、娘が私に与えてくれるものがきっと沢山あるのだろうと、今になって思います。

 

散歩を終えて帰宅して、子どもはくうくうと息を漏らしながら昼寝に入りました。時折寝ぼけてひーんと泣いたり、目を閉じたまま突然ニヤッと笑ったり。つくづく不思議な未知の存在です。

ヒキガエルさん、自然の力を垣間見る

娘が生まれて2ヶ月半が経ちました。

 

世話をしていて驚かされるのが、成長するという行為の美しさです。生まれたての時はひたすら寝ているだけだったのに、徐々に何かを求めて泣くようになり、気に入らないことがあれば怒ることを覚え、お腹が空いたら口をパクパクさせてアピールすることを学び…。そしてとうとう、先週からニッコリ笑うようになりました。朝の機嫌のいい時間帯に鼻をつんつん指で撫でると、にぱにぱと笑顔を見せてくれます。今日は絵本のダルマを見て、声を上げて笑っていました。昨日までは無表情でじっと眺めるだけだったのに。昨日と今日の間に、彼女の中で何が起こったのでしょう。見えないところで神経回路がぐんぐん発達しているようです。

 

子どもの成長を眺めていると、この世には本当に神さまみたいなものがいるんだろうなーという気になります。神の見えざる手、というのは経済学の用語ですが、子どもの発達においては本当に神秘的な自然の摂理が働いているのを感じます。美しいプログラムです。

 

あまりに興味深いので、筆不精の私が日記をつけるようになりました。日々できるようになったことを記録しています。目下のところ娘が練習しているのは指しゃぶり。うまく口に入れられないようでイライラして泣いていました。「指しゃぶり成功」と日記に書き入れるのは一体何日後のことでしょうか。まさに神のみぞ知る、です。

盆と正月が一緒に来たような

なんだか眠れなくなったのでブログを書きにきました。

 

大好きな作家、ジェニファー・ワイナーが新作を出したようです。

しかも今月来月の2冊連続刊行!おまけに1冊は児童文学、もう1冊はエッセイ集と、ワイナーにとってどちらも初のジャンルへの挑戦です。ワクワクすぎます。

 

The Littlest Bigfoot

 

 

Hungry Heart: Adventures in Life, Love, and Writing

 

 

特にエッセイ集は期待大。ノーラ・エフロンの系譜につながる著者なので、きっとウィットに富んだ文体で女性のライフスタイルについて鋭い考察をしてくれるのではないかと、発刊前の今から興奮しています。

魔法にかけられて

お久しぶりです。前回の更新から約4ヶ月。この間に私は人生の大イベントを経験しました。出産です。

 

この10ヶ月、紆余曲折はありましたが、ありがたいことに先日無事出産に至りました。この期間の濃密さは、一口には語りきれぬものがあります。今までに味わったことのない密度の喜怒哀楽でした。

 

具体的な話は今後に譲るとして、出産後の思い出話を一つ。直後の興奮が落ち着いて、ようやく我に返ったときのことです。ふと自分の身体を見下ろして、思わず呆然としました。あの丸々としたお腹が消えてしまったことが妙にショックで。妊娠中は徐々に変化する身体を見て、こりゃ人智を超えた領域だと感心したものでした。生命の神秘を垣間見ているという感触がありました。それが普通の身体になったのを目の当たりにして、「特別な時間が終わってしまった」という寂しさが襲ってきたのです。魔法がとけちゃった。

 

そんなことを考えていると、子どもが私のところに連れて来られました。その顔を見たとき、あれ!?と思わず我が目を疑いました。何これ。自分の子ども、なんだかとても可愛く見える。客観的に考えるとごくごく普通の赤ん坊、どこにでもいるありふれた顔立ちなのですが、親の目には輝いて可愛く見えました。思わず本気で目をこすったくらいです。脳の認知のレベルで何かが介入したに違いありません。どうやら魔法は私の身体ではなく、この子にかかっていたようです。

 

そうして小さな娘との生活がスタートしました。全てが未知の体験すぎて、「何を求めて泣いてるの!?」「ミルクの量はこれでいいの!?」と、毎日あっぷあっぷしています。娘と私、どちらも初心者のペア。まだまだ手探りの日々は続きますが、「あらゆることが新鮮」という特別な今を思いっきり堪能したいと思います。

習いに行こう

小学3年生の甥が、サッカー教室に通っているそうな。

そういやその子の父親であるわたしの兄もサッカー少年だったなー、と思い出しながら話を聞いていたのですが、割と器用にこなせた兄と違って、甥はあまり上手くないようなのです。親の目から見ても動きが悪いらしい。

サッカーが向いていないのか…と、息子が不憫にも心配にもなった兄。一年通ったところで「やめてもいいんだよ」と声をかけました。「自分にもっと合ってる競技を選んでいいんだよ」と。

そしたら甥に「なんでやめるの? ヘタクソだから習いに行くんだよ!!」と言い返されたそうです。ナイスガッツ。その言葉わたしも借りるよ。さ、これから新年度の授業に出るか。





イチゴづくし

さて、イチゴの季節になりました。

 

ヒキガエルさんは、このイチゴというものが好きで好きでたまりません。「世界で一番好きな食べ物は」と問われたら、質問が終わらない内にイチゴイチゴと答えてしまうくらいの好物(次点は牛肉です)。ひたすら甘いブランド品種は当然として、ちょっと酸っぱい無名のイチゴだって、初夏に出回る野性味溢れる小粒の露地ものだって、それぞれ風味があってどれも捨てがたい。風邪の時、親知らずを抜いた時、どんな体調不良の時でも食べられなかったことはありません。イチゴは決してわたしを裏切らない。わたしも決してイチゴを裏切らない。

 

イチゴの魅力は何といっても程よい酸味。ゼリーにしたりヨーグルトをかけたり様々な食べ方がありますが、やっぱり生クリームと合わせて「さっぱり」と「もったり」のバランスを楽しむのが最良ではないかと思うのです。生クリームでまったりした口にイチゴを放り込むと、前者のくどさが中和され涼やかな気持ちになります。「生クリーム→イチゴ→生クリーム→イチゴ」の反復を永遠に繰り返すことができそうな錯覚すら覚えます。

 

当然イチゴのショートケーキに目がないヒキガエルさんですが、それと甲乙つけがたいくらい好きなのが、カリカリにトーストした食パンに生クリームと薄切りのイチゴを乗っけたもの。子どもの時分から、休日の朝食にこれを食べるのが春の楽しみでした。大人になってからも、冬が終わる頃から果物売り場のイチゴの値段を定点観測し続け、このイチゴトーストを食べる機会をずっと窺っています。

 

こんなに好きなんだから、一度イチゴスイーツのビュッフェなるものに行ってみようかと思い立ち、ネットで検索をかけてみました。画面に映し出される華麗なケーキの数々に発狂寸前になりました。天国ってこんな身近なとこにあったのね。これは万難を排して行くしかない、明日にでも、と心に決めたヒキガエルさんでしたが、一晩寝て起きたところで考えを変えました。「芋粥」の話を思い出したからです。あの物語のようにこんなに大好きなイチゴ、いつか飽きるほど食べてみたいと思っていたイチゴに、夢が叶って本当に飽きてしまったらどうしよう。そうなればヒキガエルさんは人生の大きな楽しみを失うことになります。そんなリスク、冒すことはできません。なぜならイチゴは決してわたしを裏切らず、わたしも決してイチゴを裏切ってはならないからです。それほどまでにヒキガエルさんはイチゴを大事に思っています。もぐもぐ。