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あいまいなことばのわたし

いまさら「日本語は曖昧だ」なんて言うつもりはありませんが、曖昧な表現が幅を利かせているのは確かだと思います。

それを実感したのは、先日パンフレットの英訳をやってみたときでした。いくつかのことばがどうしても訳せなくて引っかかってしまったのです。まず困ったのが「絶大な威力を発揮します」。よく見る表現だけど、冷静に考えると情報量がないに等しい。非常に効果的ってこと?と、ためらいつつ解釈しました。どう訳すのが慣例なんだろー。

もう一つ困ったのが「輝く女性に贈る一品」。輝く女性って結局どんな女性なの?と、七転八倒、いやベッドでゴロゴロしながら考えました。とりあえずそんなわたしが輝いてなかったのは確かなんですが。

「威力」とか「輝く」は情報を伝える言葉ではなく、雰囲気やイメージを伝える言葉です。オーラといってもいいかもしれない。「輝く」っていったらみんなの頭に光の輪が思い浮かび、「威力」っていったらスーパーサイヤ人の炎が見える。そういうイメージ喚起力が高いからこそ、パンフレットや売り文句で多用されるのでしょう。感覚に訴えることばは強い。

しかしこれは何も日本語に限った話ではなく、論理的なので有名な英語にも同じケースがあるそうです。最近読んだアメリカ人の記事によれば、かつての大統領選のキャッチフレーズ"change"や"yes, we can."だって、たいがい意味がないらしい。チェンジって何を変えるのさ? できるって何ができるのさ? って疑問に思うそうです。冷静に考えれば。

洋の東西を問わず、感覚に訴えることばは人を動かします。しかしひとたび我にかえれば、そこに積み上がるのは空疎なことばの瓦礫の数々。それが奏でる音楽に踊らされる前に、よくよく考えなければなりません。イメージ重視のことばが持つ絶大な威力を危惧するこの頃です。あ! さっそく使ってもうた。