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水曜美術館

鳥を仲間に迎え入れた(もしくは鳥の群れの一員になった)のをきっかけに、鳥関連の作品に目を向けるようになりました。

 

大御所をあげれば、夏目漱石の短編小説「文鳥」。横書きでよければここで読めます。知人に勧められて白文鳥を飼い始めた主人公が、美しい鳥に、かつて心寄せた女の姿を重ね合わせるお話です。

 

うーん、紙幣になったひとにわるいけど、ストーリーはちょっとベタかもよと思いました。白文鳥をはじめて見たとき、そのスラリと蠱惑的なフォルムに、あーこれ絶対女性の肢体を連想するおっさんいるわと思いましたが、そのおっさんが巨匠でした。こんなこと考えているから、わたしのサイフからお札が逃げていくのでしょうか。

 

しかし、正直いってストーリーはどうでもいいのです。わたしは巨匠の手による文鳥の描写に度肝を抜かれました。

 

文鳥の眼は真黒である。周囲まわりに細い淡紅色ときいろの絹糸を縫いつけたようなすじが入っている。眼をぱちつかせるたびに絹糸が急に寄って一本になる。と思うとまた丸くなる。

 

読んだ瞬間、うわっと声が出ました。まぶたのフチのたとえが美しいのもありますが、「一本になる」「と思うとまた丸くなる」という運動の描写があまりにリアルで。巨匠の愛した鳥が、一瞬わたしの眼前にもやってきて息をするのが見えるようでした。へたな映像よりも正確に鳥の色形や動きを映し出しています。もし白文鳥が絶滅することがあっても、この短編の描写をもとに復元できるかもしれない、と思わせるほどに。巨匠の筆は恐ろしい。

 

もう一つ有名な作品がこれ。

 

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高村光太郎の木彫『白文鳥(雌雄)』です(美術館のサイトからお借りしました)。

 

はじめて見たとき(もっと大きな画像で見ました)、やはりこれも「うわっ」と思いました。これ鳥そのものやん、ちょっと気持ち悪いくらいに。

 

雄の胸をそらした姿勢がリアルなのか、雌の半ば閉じた目が真にせまっているのか。冷静に見ればただの木でノミの跡も見えますが、その中に本物の鳥のエッセンスというか、鳥の存在の一部が確かに入り込んでしまっています。木彫の鳥がかわいいなぁという感想より、「なんで鳥が木製になってるの?」という畏怖の気持ちが呼び起こされる。『ナルニア』の動物たちが白い魔女によって石像に変えられるシーン、あれを読んだときに感じた気味の悪さに似ているかもしれません。

 

ちなみに、この写真、他の文鳥飼いにも見せたらやはり第一声が「うわっ」でした。身近に暮らしているから余計に凄さ(というか畏怖の念)が味わえるのかもね。