針の穴

学校の演習に出ている時間が、いまの生活のハイライトかなと思います。ふだんは図書館か家でひっそりとパソコンをたたいているので、たまに(関心のある話題で)ひとと話せるのが楽しい。テンションが高くなり、口数も多くなっているのが自分でもわかります。子どものころ夏休み明けに友だちの顔をみると、久しぶりに会えた喜びに「わー!!」としゃべりまくってしまいましたが、あれに似ています。さぞかし周りは迷惑だろうな。今書いてみて実感しました。

 

 

 

ところで先から悩んでいることがあります。それは自分の言葉の選択が甘いところ。たとえば「並木」と聞くとまず街路樹のように人間が人工的に植えた木の列を連想しますが、わたしはこの語をうっかり野生の木にも使ってしまいました。でも指摘を受けて考え直してみると、このことばはとても人工的な匂いがする。確かに文脈にそぐわない。うーん気づかなかった。語感がまだまだ鈍いとしかいいようがありません。今までにも何度か似たような指摘を受けましたが、またやってしまいました。というか、いつもやってしまっています。

 

ぴたりと文脈に合うことばを選ぶのは、ときとして針の穴に糸を通すような作業に思われます。右にも寄らず左にも寄らず、寸分違わぬよう狙いを定めないといけない。とてつもなく繊細で根気のいる作業です。しかし元来面倒くさがりやのわたしは、どうもその作業に向き合わず「ま、こんなとこでいいでしょー」と手近なことばを使ってしまう傾向にあります。そういえば、家庭科の裁縫の時間でも針の糸通しがめんどくさくて、ナップサックを縫うのに穴の大きい刺繍針を転用して怒られました。三つ子の魂百まで、とはこのことです。

 

今後はもっと気をつけよう、と自分にハッパをかけるためにここで記事にしてみました。もう毎日糸通しの練習しようかな。なんか種目が違ってきたな。