彼女の愛情の対象

娘は来月に誕生日を控え、すくすくと大きくなっています。

 

お風呂上がりは娘を白いバスタオルにくるんで水気を拭くのが常なのですが、以前はすっぽりタオルに包まれて、旧約聖書の図版で見た葦舟の中の幼子モーセを思い起こさせました。それが今では手足がにょにょっと突き出て、白いトーガを身にまとう元老院メンバーの風情。貫禄たっぷりなのです。

 

情緒面でもかなり発達してきて、しばらく前に後追いという現象が始まりました。親が姿を消すと号泣するアレです。主たる養育者との間に愛着が形成されたことの証と聞きました。大好きな人間を判別できるくらいに成長したものの、しかしまだ「その人の姿が見えなくなっても、いずれまた戻ってくる」ということを理解する段階には達していないので、「あの大事な人にもう二度と会えないのではないか」と怖くなって泣くのだそうです。赤ちゃんの世界はなんともドラマチックです。

 

愛着の対象は当然我々両親ですが、実は彼女が愛してやまない対象がもうひとりいます。我が家の白文鳥です。名をマメというのですが、この小鳥が彼女の心を捉えて離さないのです。

 

新生児の頃こそ別室で過ごしましたが、かなり早い段階から娘と小鳥はリビングで共同生活を送ってきました。マメのさえずりを子守唄として始終耳にしていたせいか、娘はこの小鳥に大変な興味を抱いたようです。自分の名前の次に小鳥の名前を覚えました。生後半年過ぎには「マメは?」と問いかけると、小鳥のケージをじっと見つめていました(父、母という言葉にはいまだにほとんど反応しないのですが)。ちょっと前にはケージに近づきたい一心で必死に伝い歩きの練習をしていました。小鳥のパワー恐るべし、です。

 

 

 

小鳥の方も、突然一緒に暮らし始めたこの人間の子どもが気になるようです。最初は恐る恐る遠くから眺めるだけでしたが、徐々に距離を縮め、近頃は娘の頭にぴゅーんと飛び乗るようになりました。娘はいつも小鳥がどこに行ったのか目で追いきれずキョトンとしています。小鳥の方は、人間の子の髪があまりに細く柔らかいので、足がスルスルと滑って慌てふためいています。その光景を見るといつも手を叩いて笑ってしまいます。

 

先日、娘にバイバイと手を振るジェスチャーを教えたら、得意げに私たち親に手を振った後、小鳥のケージの前に行って、中の住人にニコニコ手を振っていました。今の彼女にとって、人間と小鳥の区別は、さほど大きなものではないようです。ヒトとトリの狭間で生きる彼女、どうかこのまま生命の多様性に触れつつ成長して欲しいと思います。